これまでの歩み
-看護師を目指したきっかけを教えてください。
ひとことで言うなら、「たまたま」です(笑)。私の場合、看護師になりたいというより、地元を離れて好きな土地で暮らしたい気持ちのほうが強くて、いろいろなジャンルの学校を受験して、合格した中から「横浜」という立地に惹かれて選んだのが、たまたま看護学校だったというだけなんです。
横浜はとても素敵な場所ですから、楽しい学生生活を送ることができましたし、初めての職場も横浜の病院を選びました。模範解答ができず、本当にごめんなさい(笑)。
-新人時代の思い出を教えてください。
1年目の配属病棟には私を含めて7人の新人がいて、私は昔から何でもそつなくこなせるタイプなので、業務効率は良いほうでしたね。入職初日に救急カートの中身を全部覚えて翌日テストを受けたり、入職1週間後からリーダー業務や夜勤業務がスタートしたりと、当時はスパルタ教育でどんどん責任のある仕事を任されていきましたが、「自由に看護計画を立てられて嬉しい!」と喜んでいるような新人でした。
人間関係にも恵まれ、新人の考えを尊重して向き合ってくれる先輩ばかりだったため、私がとんでもない看護計画を立てたとしても、その通りに実施してくれた思い出があります。
一番覚えているのは、着物姿で入院された90代の女性患者様を担当した時のこと。術後に状態が悪化して人工呼吸器を付けたのですが、マスクを固定したテープで肌が荒れてしまい、美意識を大切にされている患者様のために、看護計画に「洗顔」を入れたのです。
もちろん先輩からは「ありえない。呼吸器管理のほうが大切でしょう」と指摘されましたが、私が休みの日にも洗顔を欠かさずに行ってくれていました。残念ながらその患者様は亡くなってしまいましたが、「最期の顔がきれいだ」とご家族がとても喜んでくださり、成功体験に導いてくれた先輩方に心から感謝しています。
-卒後3年で退職し、海外へ行かれたそうですね。
そうなんです。1年目は持ち前の要領の良さでカバーできていたど、2年目になると中身が伴わなくなって同期に先を越され、どうしよう…と不安を感じるようになりました。出足が遅いスロースターターでも、目標に向かってコツコツ努力できる人のほうが、着実に力をつけて前進していく現実を毎日突きつけられていましたね。
それでも何とか3年目まで踏ん張り、自分の中で「やりきった!」という達成感が得られたので仕事を辞め、しばらく旅に出ようとバックパッカーになったんです。一人で世界各国を旅していると、「看護って世界で通用する万能ツールだ!」ということ気に付かされました。人に触れることに抵抗が少ない看護師だからこそ、人のぬくもりで誰かの支えになれるという体験を旅の中で何度もしました。
例えば、言葉が通じない国でホームシックになって泣いている旅仲間に遭遇すると、自然と背中に手を添えて優しくさすっている自分がいたんです。たったそれだけのことでも、「ありがとう、楽になったよ」と感謝してもらえて、無意識に看護をしている自分に驚きました。だから、旅を思いっきり楽しんで帰国した後も、再び看護の仕事に就きたいと思いました。